新メンズリブ社会運動論

運動そのもので気をつけること

社会運動に必要なもの

男性運動の社会運動やっていくために特に実際的に必要なのは何か。

よく社会運動の場合政治家、議員の理解者が必要だと思っている人がいるが

基本的にそれは最後で議員というのは社会運動が成功するればあとからついてきます。

絶対に男性運動の社会運動に必要なのは「弁護士」、「マスコミの理解者」、「学者、大学教授」です。これらが欠けている運動は絶対にうまくいきません。

そして社会運動というのは必ず左、リベラル的な方向性を持っていることが望ましいです。

特に右派、保守とは距離をとらなくてはなりません。ネットでは男性差別反対派が右派(フェミニズムを批判するために)になっている方がいますが本当にもったいない。社会というのはリベラルの視点、すごく左じゃかくてもいいがうすくリベラルではないと絶対に成功しません。

第一運動というのは「弁護士」「学者」「マスコミの理解者」が必要ですが基本的にみなリベラルですし、アカデミーというのは経済学など一部を除いて基本リベラルです。

なのでリベラルの視点からの男性差別反対運動が最も未来がありそして効果もあるのです。

リベラルというと、じゃあフェミニズムや男性学になれ、媚びろと言っているのかという意見もあると思いますが、そうではありません。あれらの思想は結局男性=加害者、女性=被害者という視点に凝り固まり、女性の人権は保護に値するが男性の人権は保護に値しないと考えていますので当然その誤りは批判というか修正していかなくてはなりません。

しかし、それ以外、ジェンダー論以外では基本的にリベラルのスタンスを出すのと、もうひとつフェミニズム批判にしても保守派と同じ方向のフェミニズム批判では意味がありません。

つまり批判するにしても「家族の絆が崩壊する」というような保守的なスタンスの主張ではなく、それは男性が一方的に不利になる男性差別的なものではないかという男女平等からのスタンスで言っていかなくてはなりません。

あくまでも我々が目指すべきは男女平等です。

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男性差別という概念を左、リベラルの視点で見るとどうなるか

男性差別、または男性の人権をリベラルつまり左の視点でやっていくことが根本的に男性差別をなくしていく運動のカギになるでしょう。さて、リベラルの視点で見た場合と保守的な視点でみた場合では男性差別のとらえ方が違います。それは男性学がリベラルの見方をしているということではありません。男性学はどこまでいっても男性差別をなくすという考えがないため、あれは男性運動とはいえないでしょう。では男性差別を保守右派の視点とリベラル左派の視点で見るとどう違うのでしょう。これは非常にこのリベラルな男性運動をやる上で重要な視点なので是非よく聞いてください。

例えばある差別があったとします。あるマイノリティ差別、日本の場合はでは部落差別にしましょう。この際にリベラルの視点ではどうでしょうか。当然マイノリティである部落の人たちに対する差別をなくそうという視点になります。保守系はどうでしょうか?保守系の見方では部落差別反対が行き過ぎて部落の人たちの方が一般市民より優遇されてる「同和利権だ。だから同和利権をなくすべき。」となります。私たちはこの保守側の考えになってはなりません。

さらにもう一つ例をあげます。部落差別の概念は日本しか通用しないので次は黒人差別問題をあげます。海外ではよくこの黒人差別問題と男女差別問題を対比したり並べたりします。リベラル、左の視点ではもちろん黒人差別をなくそうとします。マイノリティである黒人の人が黒人であるというだけで不利な扱いにならないよう差別をなくしていきます。では保守系、右的な視点ではどうでしょうか?(これは視点としてで別に共和党の人がこういう考えを持っているというわけではありませんよ)「黒人差別反対が行き過ぎてアファーマティブアクションのような行き過ぎが起きている。だから行き過ぎはやめてアファーマティブアクションはやめるべき。」となります。

さてこれを男性差別問題にあてはめるとどうでしょうか?明らかにネット上に多くいる右派的な男性差別反対派は後者、保守の視点でやっています。「女性優遇」などの表現がそうです。保守的な視点での男性差別の理解はこうです。「かつでの社会では女性は差別され男性は優位だった。しかし女性差別反対運動が起き、女性の地位は上がったが、逆にその女性保護の行き過ぎで男性が差別されている。だから男性差別だ。」という考えです。

これは上にあげた部落差別や黒人差別反対問題に対しての右派保守の視点と同じです。

確かにこの保守的な考えは時に的を得ていることもあります。部分としてはそういうところもあるでしょう。しかし本質では全くありません。考え方がずれているのです。ここからが大事です。では左派の視点で男性差別を見るとどうなるのでしょうか。えっ?どういうこと?フェミニズムと同じ視点になれということ?と思った方もいるかもしれません。そうではありません。有史以来男性は男性として生まれた時点から常に社会において差別されてきており、その男性が差別されることをなくしていこうというのがリベラルの視点の男性差別のとらえ方です。海外の学問に近い形でなされているリベラル系の男性運動の男性差別のとらえ方はこのような形です。違いがわかりますでしょうか。

つまり男性差別というのは決して女性差別反対運動が起き、その行き過ぎによって生じた同和利権のようなものではなく、部落差別そのものなのです。つまり部落=黒人=女性というものではなく部落=黒人=男性というものなのです。我々男性はその位地なのです。

もちろん男女差別問題というのは部落差別や黒人差別のように超一方的なものではありません。男女差別の場合はどちらも加害者であり、被差別者でもあると私は思います。しかし、男性差別という中では当然男性は被差別者、つまり部落民、黒人と同質です。

この男性差別というのは男役割として生じていたと考えられるでしょう。つまり繰り返しになりますが、男性差別というのは女性保護の行き過ぎによって近代に生まれた、同和利権とか白人差別というようなものではなく、そもそも男性は男性という性が生まれた時点で人類の歴史が始まった時点でもう既に差別されているのです。このとらえ方が大事です。そしてこれは正しいといえます。ある人にとっては発想の逆転のように思えるかもしれません。

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社会運動の3つのポイント

社会運動に必要なものは3つあります。弁護士、学者、マスコミの理解者そして最終的に議員です。

この3つがない社会運動は成功しません。

学者は運動のブレーンでもあり、運動には学問の理論的根拠がいります。つまり学者、博士号取得者、大学の先生の理解者が必要です。そもそも社会運動というものはアカデミックなものだからです。

また、弁護士も運動の法的なアドバイザーとしてももちろんですが、結局運動というのは最終的に法律を変えるなどが目的なので法律のプロである弁護士の方の理解者がいないとどうしようもありません。

そしてマスコミの理解者も必要です。特に、新聞とテレビです。マスコミの理解の得られない運動は暴走しても社会に残りません。敵対するのではなく、理解者を増やすこと、理解を広げていく、それが運動だと思います。

これら3つが欠けている運動は社会運動になっていません。特に保守系の運動は見事にこの3つがないものがあります。あれはおそらく社会に何も残せないと思います。

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泥臭いことも 7月28日

運動というのは理想だけじゃだめだ。理想、理論というものは大切であり不可欠でしょう。

しかし、泥臭いこと、生活に密着したこともやっていかねばなりません。男性の集まりでは

どうもその辺が苦手なような気がします。僕自身運動は素人です。だからある種手探りです。政治でいえばかっこいいマニフェストだけでなく地道な地周り活動をやらなければならないということです。いくら政策が理想的でも地周りを怠る政党は選挙に勝てません。なのでそういう部分を軽視してはいけません。

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運動とは。 7月27日(2009)

意見を強く抗議すればいいだけというものではない。強く、意見を言うべきところは

強く、しかし柔らかい相手への配慮も忘れず、柔軟な部分も必要である。

人間同士がぶつかってしまう。そして大切なのはネットワークなのである。みなが

勝手に怒りをぶつけるだけで、フォローする人がいなければバラバラになってしまいその

運動は何も起こせない。理不尽なことに対する怒りの気持ちはわかるがそれをおのおのが勝手に爆発させて攻撃しているだけでは生産的なことにはならない。

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