男性差別、または男性の人権をリベラルつまり左の視点でやっていくことが根本的に男性差別をなくしていく運動のカギになるでしょう。さて、リベラルの視点で見た場合と保守的な視点でみた場合では男性差別のとらえ方が違います。それは男性学がリベラルの見方をしているということではありません。男性学はどこまでいっても男性差別をなくすという考えがないため、あれは男性運動とはいえないでしょう。では男性差別を保守右派の視点とリベラル左派の視点で見るとどう違うのでしょう。これは非常にこのリベラルな男性運動をやる上で重要な視点なので是非よく聞いてください。
例えばある差別があったとします。あるマイノリティ差別、日本の場合はでは部落差別にしましょう。この際にリベラルの視点ではどうでしょうか。当然マイノリティである部落の人たちに対する差別をなくそうという視点になります。保守系はどうでしょうか?保守系の見方では部落差別反対が行き過ぎて部落の人たちの方が一般市民より優遇されてる「同和利権だ。だから同和利権をなくすべき。」となります。私たちはこの保守側の考えになってはなりません。
さらにもう一つ例をあげます。部落差別の概念は日本しか通用しないので次は黒人差別問題をあげます。海外ではよくこの黒人差別問題と男女差別問題を対比したり並べたりします。リベラル、左の視点ではもちろん黒人差別をなくそうとします。マイノリティである黒人の人が黒人であるというだけで不利な扱いにならないよう差別をなくしていきます。では保守系、右的な視点ではどうでしょうか?(これは視点としてで別に共和党の人がこういう考えを持っているというわけではありませんよ)「黒人差別反対が行き過ぎてアファーマティブアクションのような行き過ぎが起きている。だから行き過ぎはやめてアファーマティブアクションはやめるべき。」となります。
さてこれを男性差別問題にあてはめるとどうでしょうか?明らかにネット上に多くいる右派的な男性差別反対派は後者、保守の視点でやっています。「女性優遇」などの表現がそうです。保守的な視点での男性差別の理解はこうです。「かつでの社会では女性は差別され男性は優位だった。しかし女性差別反対運動が起き、女性の地位は上がったが、逆にその女性保護の行き過ぎで男性が差別されている。だから男性差別だ。」という考えです。
これは上にあげた部落差別や黒人差別反対問題に対しての右派保守の視点と同じです。
確かにこの保守的な考えは時に的を得ていることもあります。部分としてはそういうところもあるでしょう。しかし本質では全くありません。考え方がずれているのです。ここからが大事です。では左派の視点で男性差別を見るとどうなるのでしょうか。えっ?どういうこと?フェミニズムと同じ視点になれということ?と思った方もいるかもしれません。そうではありません。有史以来男性は男性として生まれた時点から常に社会において差別されてきており、その男性が差別されることをなくしていこうというのがリベラルの視点の男性差別のとらえ方です。海外の学問に近い形でなされているリベラル系の男性運動の男性差別のとらえ方はこのような形です。違いがわかりますでしょうか。
つまり男性差別というのは決して女性差別反対運動が起き、その行き過ぎによって生じた同和利権のようなものではなく、部落差別そのものなのです。つまり部落=黒人=女性というものではなく部落=黒人=男性というものなのです。我々男性はその位地なのです。
もちろん男女差別問題というのは部落差別や黒人差別のように超一方的なものではありません。男女差別の場合はどちらも加害者であり、被差別者でもあると私は思います。しかし、男性差別という中では当然男性は被差別者、つまり部落民、黒人と同質です。
この男性差別というのは男役割として生じていたと考えられるでしょう。つまり繰り返しになりますが、男性差別というのは女性保護の行き過ぎによって近代に生まれた、同和利権とか白人差別というようなものではなく、そもそも男性は男性という性が生まれた時点で人類の歴史が始まった時点でもう既に差別されているのです。このとらえ方が大事です。そしてこれは正しいといえます。ある人にとっては発想の逆転のように思えるかもしれません。
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